竹内茂代(読み)タケウチ シゲヨ

20世紀日本人名事典 「竹内茂代」の解説

竹内 茂代
タケウチ シゲヨ

明治〜昭和期の医師,政治家 衆院議員(自由党)。



生年
明治14(1881)年8月31日

没年
昭和50(1975)年12月15日

出生地
長野県

旧姓(旧名)
井出

学歴〔年〕
東京女子医学校〔明治40年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
代々名主を務めた井出家の長女。大正8年東京で井出医院開業、かたわら市川房枝らと社会運動参加、婦人参政権運動の財務理事を務めた。昭和21年東京1区から衆議院議員に女性として初めて当選、日本自由党に属し総務及び婦人部長を務めたが、1期だけで引退。以後医業に専念、文部省嘱託、厚生省体力審議会専門委員、引揚援護院参与、結核予防東京婦人委員会副委員長、日本女医会副会長のほか大妻専門学校講師などを歴任した。女子医学校創立者の吉岡弥生とは師弟でありライバルであった。著書に「吉岡弥生先生と私」「一般家庭看護学及一般育児学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「竹内茂代」の解説

竹内 茂代
タケウチ シゲヨ


肩書
衆院議員(自由党)

旧名・旧姓
旧姓=井出

生年月日
明治14年8月31日

出生地
長野県

学歴
東京女子医学校〔明治40年〕卒

学位
医学博士

経歴
代々名主を務めた井出家の長女。大正8年東京で井出医院を開業、かたわら市川房枝らと社会運動に参加、婦人参政権運動の財務理事を務めた。昭和21年東京1区から衆議院議員に女性として初めて当選、日本自由党に属し総務及び婦人部長を務めたが、1期だけで引退。以後医業に専念、文部省嘱託、厚生省体力審議会専門委員、引揚援護院参与、結核予防東京婦人委員会副委員長、日本女医会副会長のほか大妻専門学校講師などを歴任した。女子医学校創立者の吉岡弥生とは師弟でありライバルであった。著書に「吉岡弥生先生と私」「一般家庭看護学及一般育児学」などがある。

没年月日
昭和50年12月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内茂代」の解説

竹内茂代 たけうち-しげよ

1881-1975 明治-昭和時代の医師,政治家。
明治14年8月31日生まれ。東京女医学校(現東京女子医大)の第1回卒業生。東京で医院を開業のかたわら市川房枝らと社会運動に参加,昭和21年の総選挙ではじめての女性衆議院議員のひとりとなった。昭和50年12月15日死去。94歳。長野県出身。旧姓は井出。著作に「一般家庭看護学及一般育児学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「竹内茂代」の解説

竹内 茂代 (たけうち しげよ)

生年月日:1881年8月31日
明治時代-昭和時代の医師;政治家。衆議院議員
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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