20世紀日本人名事典 「竹内賀久治」の解説
竹内 賀久治
タケウチ カクジ
大正・昭和期の弁護士,教育者 法政大学総長。
- 生年
- 明治8年10月13日(1875年)
- 没年
- 昭和21(1946)年11月18日
- 出生地
- 岡山県窪屋郡白楽市村(現・倉敷市)
- 学歴〔年〕
- 法政大学〔明治39年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士〔昭和14年〕
- 経歴
- 明治24年に上京し、陸軍教導団に入る。以来、軍人として広島歩兵21連隊や東京湾要塞砲兵連隊に勤務。33年軍籍を退き、麻生中学校で教鞭を執りながら法政大学で法律を学んだ。35年岡山県佐良山の森林主事となるが、日露戦争の勃発で再び軍務につき、砲兵少尉として能美島砲台に配属。38年中国の大連に上陸するが、病気のため内地に帰還。その後、森林主事を辞して上京、44年には試験に合格して弁護士の資格を得た。以後、法律事務所に勤める傍ら、「法学志林」などの雑誌に特許法に関する論文を寄せた。大正8年同郷の検事総長平沼騏一郎の知遇を得、13年平沼を理事長に推戴して国本社を結成。その専務理事として国粋主義的運動を進め、東大新人会などの新進勢力と対抗した。15年には第二東京弁護士会の創立に参画し、昭和11年同会長。また、昭和8年に起こった母校法政大学騒動の解決に功があり、同学長を経て18年には同総長に就任、21年まで在任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報