国本社(読み)コクホンシャ

デジタル大辞泉 「国本社」の意味・読み・例文・類語

こくほん‐しゃ【国本社】

大正13年(1924)平沼騏一郎中心となって設立した右翼思想団体。昭和11年(1936)解散

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精選版 日本国語大辞典 「国本社」の意味・読み・例文・類語

こくほん‐しゃ【国本社】

  1. 大正末期・昭和初期の国家主義的思想団体。大正一三年(一九二四)五月、平沼騏一郎を中心として創立。国民精神の作興を目的とする宣伝・教化活動を行なった。昭和一一年(一九三六)六月、平沼騏一郎の枢密院議長就任後、目的は達せられたとして解散。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国本社」の意味・わかりやすい解説

国本社
こくほんしゃ

1924年(大正13)5月、当時司法官僚閥のトップに位置していた平沼騏一郎(きいちろう)が創立した右翼団体。平沼は現役時代から国粋主義運動に走り、1920年検事総長のとき東京帝国大学内の右翼団体興国同志会の顧問となり、23年には「修養団」の団長に就任した。23年12月、無政府主義者難波大助(なんばだいすけ)が摂政(せっしょう)宮裕仁(ひろひと)(昭和天皇)を銃で狙撃(そげき)した虎(とら)の門事件により、山本権兵衛(ごんべえ)内閣は総辞職、法相であった平沼は、下野した機会に国本社をつくった。鈴木喜三郎(きさぶろう)、塩野季彦(すえひこ)、小山松吉(こやままつきち)、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)、宇垣一成(うがきかずしげ)、荒木貞夫(さだお)、真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)、斎藤実(まこと)、池田成彬(せいひん)、結城豊太郎(ゆうきとよたろう)、後藤文夫(ふみお)、山川健次郎(けんじろう)、古在由直(こざいよしなお)など、軍部、政・財・官・学界のトップクラス多数が会員となり、一時は170支部、20万人と称した。このため外国では平沼を日本ファシズム総本山とみなしたこともある。しかし国本社の右翼団体としての実績は、『国本新聞』、雑誌『国本』を出し講演会を行った程度にすぎず、36年(昭和11)平沼の枢密院議長就任直後に解散した。

[大野達三]

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改訂新版 世界大百科事典 「国本社」の意味・わかりやすい解説

国本社 (こくほんしゃ)

平沼騏一郎を中心に1924年5月発足した国家主義団体。前年の虎の門事件に衝撃をうけた平沼が,〈国体ノ精華ヲ顕要スル〉ことを目的として結成した,反政党政治・反国際協調の傾向を強くもつ団体である。メンバーは平沼系の判事,検事が中心であるが,荒木貞夫,宇垣一成,後藤文夫,池田成彬などの軍人や内務省などの高級官僚,財界人をも組織した点に特色がある。地方支部でも司法官や地方政財界の名士を多数組織しており,市役所,裁判所内に事務所を設けている支部も多かった(支部39,会員1万7816名,1935年時の官憲資料)。機関紙《国本新聞》の発行,講演会の開催などの啓蒙教化活動が中心で,運動体としては活動力に欠けるところがみられる。しかし国家権力の中枢に近いところで組織されているため,その勢力は隠然たるものがあり,平沼超然内閣実現のために,種々の政界裏面工作を行った。元老西園寺公望が平沼を嫌ったため,平沼内閣は容易に実現しなかったが,国本社の動向は1930年代の政界を動かす要因の一つであった。36年に平沼が枢密院議長に就任したのを機に〈教化の目的は達せられた〉として,平沼自身によって解散させられた。
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百科事典マイペディア 「国本社」の意味・わかりやすい解説

国本社【こくほんしゃ】

虎ノ門事件当時法相であった平沼騏一郎が同事件に衝撃をうけ,1924年に創立した政治結社。国体精神の鼓吹を目的として官僚・軍人・実業家を集め会員20万人と称し,日本ファシズムの総本山と目された。平沼内閣実現のため暗躍。二・二六事件後の1936年平沼が枢密院議長につくと,まもなく社は国民教化の目的達成とみなして解散。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国本社」の意味・わかりやすい解説

国本社
こくほんしゃ

大正末期に設立された国家主義政治結社。虎ノ門事件に衝撃を受けた平沼騏一郎が国体思想を宣伝するという主旨で,1924年に設立したもの。機関誌『国本』『国本新聞』を発行し,全国に支部 170をもち,中央の会員には東郷平八郎斎藤実鈴木喜三郎宇垣一成池田成彬らの軍人,政・財界人を集めた。平沼の政治的野心を実現するために使われたが,36年に平沼が枢密院議長となるとともに解散された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国本社」の解説

国本社
こくほんしゃ

大正後期・昭和前期の国家主義的思想啓蒙団体。平沼騏一郎(きいちろう)司法相を中心として1924年(大正13)組織。「国本ヲ固クシ智徳ノ並進ニ努メ国体ノ精華ヲ顕揚スル」ことを目的に,「国本新聞」や雑誌「国本」の発行,講演会開催を事業の中心とした。鈴木喜三郎・塩野季彦・加藤寛治・宇垣一成(かずしげ)・原嘉道(よしみち)・荒木貞夫・真崎甚三郎・後藤文夫・池田成彬(せいひん)・結城豊太郎などを理事とし,会員数は司法・内務官僚,軍人を中心に1万7816人(1935)を数えた。「日本ファッショの総本山」などと称されたが,36年(昭和11)平沼の枢密院議長就任後,解散した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国本社」の解説

国本社
こくほんしゃ

1924(大正13)年平沼騏一郎により組織された国家主義団体(〜'36)
虎の門事件(1923)で衝撃をうけた平沼が「国民精神の涵養」を期して創立。『国本新聞』・雑誌『国本』を刊行。会員は1万7000余人。「日本ファッショの総本山」と称されたが,二・二六事件('36)後,平沼が枢密院議長となって会長を辞任し,国本社も間もなく解散した。

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世界大百科事典(旧版)内の国本社の言及

【平沼騏一郎】より

…東京控訴院部長を経て検事に転じ,1911年司法次官,12年より21年まで検事総長,23年第2次山本権兵衛内閣の司法大臣を歴任。虎の門事件に衝撃をうけ,24年からは国家主義団体国本社を主宰(会長),同年には枢密顧問官に就任,翌年枢密院副議長となり,台湾銀行救済問題,ロンドン条約批准問題などで政府を苦しめた。満州事変後には首相候補者として右翼・軍部から期待されるようになったが,元老西園寺公望は彼の右翼色を忌避した。…

※「国本社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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