朝日日本歴史人物事典 「竹川竹斎」の解説
竹川竹斎
生年:文化6(1809)
幕末明治期の篤農家。伊勢国(三重県)飯野郡射和村の豪商。諱は政胖,通称新兵衛。江戸,大坂に両替店を持ち,御為替御用を勤めた。佐藤信淵から農政を学ぶ。天保飢饉の際は,私財を投じて用水や溜池を構築し,茶桑,養蚕など殖産に尽力した。万古焼陶器の生産を始め,外国貿易で輸出しようと大久保忠寛(一翁)らと交渉したが,不振に終わり,横浜で茶の輸出を行った。慶応2(1866)年勘定奉行小栗忠順に招致されて諮問を受け,外国米の輸入や海運について献言した。老中小笠原長行にも面会,幕府財政再建にその手腕を期待されたが,ほどなく幕府倒壊となった。勝海舟とも交友があった。射和文庫を建て郷里の教育にも尽力。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報