日本歴史地名大系 「竹鼻城跡」の解説
竹鼻城跡
たけがはなじようあと
[現在地名]羽島市竹鼻町
戦国期、織田信雄家臣であった不破源六広綱(父は不破権内綱村)の居城。築城時期や不破氏以前の城主については明確でなく、城の所在地も通称界僅ニ余ス」と記し、「不破氏ハ不破河内守道広男、属土岐斎藤家ニ、後仕信長、今源六モ亦其一族ニシテ、組信雄ニ者乎」とする。源六は織田信雄分限帳によると三千六〇〇貫文を知行しており、羽柴秀吉に降伏後、天正一三年(一五八五)秀吉が伊木忠次に源六旧領を宛行った時の判物(伊木文書)には「不破源六分竹鼻近辺所々、都合六千八拾三貫文」とある。
天正一二年の小牧・長久手の戦において、当地方の有力土豪のうち当城の不破氏、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報