笠井信一(読み)カサイ シンイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「笠井信一」の解説

笠井 信一
カサイ シンイチ


肩書
岡山県知事,貴院議員(勅選)

生年月日
元治1年6月(1864年)

出生地
駿河国富士郡(静岡県)

学歴
東京帝大法科〔明治25年〕卒

経歴
内務省官吏となり、明治40年抜擢され岩手県知事に就任。後、北海道長官、貴族院勅選議員などを歴任。在任5年の岡山県知事時代に、大正天皇から受けた貧民状態に関する下問を契機として、大正6年済世顧問制度を創設、翌7年大阪に設立された方面委員制度先駆となった。この制度の精神基調を昭和3年著書「済世顧問制度の精神」にまとめ、後の社会事業家や、後に全国に施行された方面委員制度に大きな影響を与えた。「笠井明府頌徳誌」(41年)がある。

没年月日
昭和4年7月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「笠井信一」の解説

笠井 信一
カサイ シンイチ

明治・大正期の内務官僚 岡山県知事;貴院議員(勅選)。



生年
元治1年6月(1864年)

没年
昭和4(1929)年7月25日

出生地
駿河国富士郡(静岡県)

学歴〔年〕
東京帝大法科〔明治25年〕卒

経歴
内務省官吏となり、明治40年抜擢され岩手県知事に就任。後、北海道長官、貴族院勅選議員などを歴任。在任5年の岡山県知事時代に、大正天皇から受けた貧民状態に関する下問を契機として、大正6年済世顧問制度を創設、翌7年大阪に設立された方面委員制度の先駆となった。この制度の精神的基調を昭和3年著書「済世顧問制度の精神」にまとめ、後の社会事業家や、後に全国に施行された方面委員制度に大きな影響を与えた。「笠井明府頌徳誌」(41年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笠井信一」の解説

笠井信一 かさい-しんいち

1864-1929 明治-昭和時代前期の官僚,政治家
元治(げんじ)元年6月19日生まれ。内務省にはいり,岩手県知事をへて大正3年岡山県知事となる。6年済世顧問制度を設立。同制度は戦後の民生委員制度におおきな影響をあたえた。のち北海道庁長官,貴族院議員。昭和4年7月25日死去。66歳。駿河(するが)(静岡県)出身。帝国大学卒。著作に「済世顧問制度の精神」。

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