笠松宿(読み)かさまつしゆく

日本歴史地名大系 「笠松宿」の解説

笠松宿
かさまつしゆく

[現在地名]笠松町港町

通称御鮨おすし街道(名古屋街道・八町畷とも)の宿。同街道は岐阜町から加納かのう(現岐阜市)を経、当地木曾川を渡り熱田あつた(現名古屋市)に至った。脇街道ではあるが名古屋への近道として利用度が高く、当宿は木曾川舟運の拠点笠松湊とも一体化して賑った。

当地に人馬問屋が置かれたのは元和三年(一六一七)で、本巣もとす真桑まくわ(現真正町)から幕府へ献上する真桑瓜、岐阜町から献上する鮎鮨の継送りに差支えないよう設けられた。当時当地は美濃国奉行岡田善同の支配下にあり、問屋二人が置かれ、御用を勤めた。宝暦一〇年(一七六〇)にも問屋二人がその任にあったが(以上、宝暦一〇年笠松村明細帳)、享和四年(一八〇四)になると、当番庄屋が兼帯で問屋事務をとることになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む