笠神の文字岩(読み)かさがみのもじいわ

日本歴史地名大系 「笠神の文字岩」の解説

笠神の文字岩
かさがみのもじいわ

[現在地名]備中町平川

成羽なりわ川上流の笠神にある中世の船路開削記念の文字岩。国指定史跡。安山岩質凝灰岩の巨岩(長径八・一八メートル、短径四・五四メートル)の表面に工事の経緯が刻まれているが、現在摩滅がはなはだしい。その銘文(成羽川水路開鑿願文)難所であった「笠神龍頭上下瀬十余ケ所」の開削を、四郎兵衛が根本発起、成羽善養寺の尊海が大勧進として浄財を募り、善養寺の本寺であった奈良西大寺は工事奉行に実専を派遣、石切大工は伊行経が従事し、一〇余ヵ月を経て徳治二年(一三〇七)に無事竣工したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「笠神の文字岩」の解説

かさがみのもじいわ【笠神の文字岩】


岡山県高梁市備中町にある岩石碑。成羽(なりわ)川上流の新成羽川ダムの下流に位置する。いつもは水中に隠れ、渇水期にしか現れないが、文字岩は、成羽川の龍頭(りゅうず)の瀬を中心にして上下十余ヵ所の難所を開削した記念碑である。周囲19m、高さ6mの巨岩で、鎌倉時代の1307年(徳治2)、日本でも無類の難所であった成羽川上流の笠神龍頭の瀬を仏の加護によって船路開削した、という難工事の経緯が刻まれている。この船路開削工事で、運送時間と労力が大幅に短縮された。工事の中心となったのは、成羽の善養寺の僧尊海(そんかい)で、工事奉行は奈良西大寺の実専(じっせん)、石工の頭領は伊行経(いのゆきつね)であった。伊行経は奈良の東大寺の再建にあたった宋の伊一族の石工といわれ、文字岩を刻んだとされる。わが国の河川開削史上の貴重な資料として、1941年(昭和16)に国の史跡に指定された。すぐ下手に、1797年(寛政9)、文字岩を見た代官早川八郎左衛門が詠んだ歌を刻んだ歌石がある。JR伯備線備中高梁駅から車で約40分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の笠神の文字岩の言及

【成羽川】より

…広島県境近くには中国地方第2の規模の中国電力の新成羽川ダム(30万kW)がある。ダムの堰堤(えんてい)下には〈笠神の文字岩〉と呼ばれる,自然石に刻まれた碑(史)がある。これは鎌倉時代末に,この付近の流路の難所を開削して川船の航路を開いた記念碑である。…

※「笠神の文字岩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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