出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ボリシェビキは第1次世界大戦に伴う各国の政治・経済体制の動揺に革命の絶好の条件を見いだしただけでなく,後進国ロシアの革命は,先進工業国の革命なしには生きのびることはできないと確信していたからであった。 1919年3月,ペトログラード(現,サンクト・ペテルブルグ)で開催された革命的プロレタリア政党国際会議は,時期尚早の少数意見もあったが,共産主義インターナショナル(第三インターナショナル)の創設を決議した。そしてロシア革命を起爆剤とするヨーロッパ革命への期待が空しく消えたとき,レーニンらはそこに既成の社会主義政党幹部の裏切りを認め,彼らとの完全な絶縁,鉄の規律と中央集権体制に立脚した一枚岩的国際革命組織をつくりあげることを決意した。…
…《共産党宣言》で,マルクスは〈労働者は祖国をもたない〉と書いたが,労働者階級もまた守るべき祖国をもっていることが明らかになった。
[コミンテルンと戦間期の社会党]
ロシア社会民主労働党の革命的左派ボリシェビキの指導者レーニンは,第1次大戦の勃発の直後に第二インターナショナルは破産したと判断し,1917年の十月革命によって政権を奪取すると,党名を共産党と改め,コミンテルン(第三インターナショナル)の結成を提唱した。コミンテルンは,各国社会民主党は労働者階級を裏切り,むしろ資本主義を維持する重要な支柱になっていると攻撃した。…
…なお同インターの影響のもとに各国の労働組合中央組織を結集する国際労働組合連盟(アムステルダム・インターナショナル)が組織された。ロシア革命の成功後,レーニンは社会民主主義の系譜とは別個の,共産主義インターナショナル(第三インターナショナル,コミンテルン)を結成した(1919)。これは各国の共産党を支部とし,モスクワの本部に指導権を集中する中央集権的な組織であり,その後の国際的革命運動によかれあしかれ絶大な影響を及ぼした。…
※「第三インターナショナル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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