日本歴史地名大系 「第十村」の解説 第十村だいじゆうむら 徳島県:名西郡石井町第十村[現在地名]石井町藍畑(あいはた) 第十高畠(たかばたけ)村の北東に位置し、中央を吉野川が流れる。東は名東(みようどう)郡佐野須賀(さのずか)村(現徳島市)、西は佐藤塚(さとうづか)村(現上板町)、南は名東郡芝原(しばはら)村(現徳島市)。第拾・代十とも記された。時期は不詳であるが、当村は吉野川の洪水と流路変化により南北に分断され、浸食により村域も往時の三分の一になったという。北岸に第十新田(現上板町)があった。宝暦二年(一七五二)吉野川北部下流域への灌漑を担う本流の増水を図るため、別宮(べつく)川(現吉野川)に第十堰が築造され、井組により維持されてきた。また第十浜と称する川湊や第十渡が置かれた(阿波志)。中世は名西庄のうち。現兵庫県三原(みはら)町の国分(こくぶん)寺が所蔵する木造釈迦如来坐像の墨書銘によると、暦応三年(一三四〇)三月二〇日に手斧始めが行われ、翌四年六月二五日に安置された同像は大願主が盛尊、女大施主が海氏女、大仏師が兵部法橋僧命円であったが、命円について「観地房、昔者洛陽住 今者阿州名西庄第十蓮福寺住」と注記され、当地に蓮福寺という寺院があったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by