笹川ミス(読み)ササガワ ミス

20世紀日本人名事典 「笹川ミス」の解説

笹川 ミス
ササガワ ミス

明治・大正期の助産婦 新潟私立産婆養成所所長



生年
安政2年5月5日(1855年)

没年
大正7(1918)年1月25日

出生地
越後国蒲原郡葛塚村(新潟県豊栄市)

学歴〔年〕
新潟医学校付属産婆教場卒

経歴
新潟医学校付属産婆教場に学び、西洋医学に基づく助産法を修得。16年新潟県で初めて西洋産婆の資格を取得し、母校教鞭を執った。明治20年に母校が廃校すると、私立の産婆教育を志して21年新潟私立養成所を設立し、校長就任。以来、後進の育成と西洋式助産術の普及に当たった。その後、新潟県内に同種の産婆養成所が増加したのを機に、43歳で教育から身を退き、産婆として開業。60歳で引退。著書に「産婆十三戒」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笹川ミス」の解説

笹川ミス ささがわ-ミス

1855-1918 明治-大正時代の助産婦。
安政2年5月5日生まれ。新潟医学校付属産婆教場で西洋医学にもとづく助産学をまなび,卒業後同校でおしえる。医学校廃校後,明治22年新潟私立産婆養成所をつくり所長,のち開業,助産婦となる。大正7年1月25日死去。64歳。越後(えちご)(新潟県)出身著作に「産婆十三戒」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む