笹村(読み)ささむら

日本歴史地名大系 「笹村」の解説

笹村
ささむら

[現在地名]君津市笹

菅間田すがまた村の南西、笹川左岸に立地。集落は山神社周辺と、同川に沿って南方香木原かぎはら村方向に寄った字片倉かたくら清水しみずの三つに大きく分れる。北方利根とね村方面から通じる道と北東川俣かわまた村方向からの道が北部で合流し、さらにせき村・細野ほその村方向からの道を合せて村内を南下、字奥笹おくざさ・西清水を通り、香木原村、安房国長狭ながさ北小町きたこまち(現鴨川市)へと通じる。文亀四年(一五〇四)二月七日の山神社棟札(山神社蔵)に「畔蒜庄亀山郷村惣社山神宮」とみえ、畔蒜あびる亀山かめやま郷に属した当村の惣社山神社が元吉大炊助によって再興されている。

笹村
ささむら

[現在地名]甘楽町小川おがわ

多井戸おおいど村の南、東は白倉しらくら村、西は福島ふくしま村、西南上野うえの村と接する。寛文郷帳に村名がみえ、幕府領で田方六一石余・畑方七九石余。江戸後期の御改革組合村高帳では旗本溝口領。文久二年(一八六二)の五人組帳(「甘楽町史」所収)などによると総反別は一三町一反余。西南の小幡おばた村から流れくる雄川おがわ堰は小幡藩領でない当村は受水できなかったが、用水通りということで同藩領の隣村ともなれ合い、明和九年(一七七二)同藩領内みなみ山秣場への入会願(藤巻文書)白倉村長根ながね(現多野郡吉井町)の口添で出し、安永四年(一七七五)秣札二四枚を渡された(「入会札請書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報