日本歴史地名大系 「筋違橋町」の解説 筋違橋町すじかいばしちよう 神奈川県:小田原市小田原城下筋違橋町[現在地名]小田原市南(みなみ)町一―二丁目欄干橋(らんかんばし)町の西、東海道沿いの通町、山角(やまかく)町との西境から南に諸白小路(もろはくこうじ)が通る。筋違橋という橋名を記す史料はない。「永代日記」承応三年(一六五四)一月一三日条の「筋違橋町さやし清兵衛」宅の旅宿人盗難事件に町名がみえる。天正一二年(一五八四)三月三日の二通の北条家朱印状(県史三)によれば、北条氏照の「奥州屋敷」が伝肇(でんちよう)寺(のち山角町に移転)・常勝(じようしよう)寺と接してあった。 筋違橋町すじかいばしちよう 京都市:上京区成逸学区筋違橋町上京区大宮通寺之内上ル三丁目南北に通る大宮(おおみや)通を挟む両側町。町の北は鞍馬口(くらまぐち)通。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「直違はし丁」、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「筋かへ橋」と出、寛文後期洛中洛外之絵図に「すじかい橋町」とある。元禄末期洛中絵図や天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図では「筋違町北丁、同南丁」と二町に分れている。 筋違橋町すじかいばしちよう 福井県:福井市福井城下筋違橋町[現在地名]福井市春山(はるやま)二丁目北陸街道沿いの町で、北は田原(たわら)横町、南は下呉服(しもごふく)町に続き、東へ折れると祝(いわい)町。悪水路が街道を斜めに交錯して流れるため、架かる橋も筋違橋となって町名が生れた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by