朝日日本歴史人物事典 「筒井順永」の解説
筒井順永
生年:応永27(1420)
室町時代の武将。大和筒井荘を本拠とする国人。順覚の子。筒井氏はもと興福寺の隷属民であったが,在地領主化し,南北朝期より武士として活動。順永は相国寺の僧であったが,嘉吉1(1441)年10月,兄弟の光宣と共に惣領たる兄の順弘に背いて家督を争い,幕府から筒井氏当主に安堵された。この地位は興福寺の官符衆徒を兼ね,いわゆる僧兵勢力の頭目に当たる。事実上の大和守護代であった。15世紀中ごろから激化する畠山氏の家督紛争に際しては弥三郎・政長方にくみし,義就方の古市胤仙,越智家栄らとしばしば対立した。本拠の筒井に城郭を構え,大和盆地中央部の各荘園の荘官として得分を収めた。興福寺にも種々の役を奉仕し,文明2(1470)年には春日若宮神事の田楽頭段銭負担の功で異例の僧綱宣下を受けている。しかし応仁の乱では,大内政弘と組んだ西軍義就の優勢下に振るわず,越智・古市氏らに押され気味のうちに没した。<参考文献>熱田公「筒井順永とその時代」(日本史研究会史料研究部会編『中世社会の基本構造』)
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報