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広島県東部、甲奴郡(こうぬぐん)にあった旧町名(総領町(ちょう))。現在は庄原市(しょうばらし)の南端部を占める地域。旧総領町は1955年(昭和30)領家(りょうけ)、田総(たぶさ)の2村が合併して成立。2005年(平成17)庄原市に合併。国道432号が通じる。旧町域は中国山地吉備(きび)高原上にあり、米麦中心の農業のほか、和牛飼育、野菜・コンニャク栽培などが行われる。スギ、ヒノキの良材生産地としても知られる。過疎地域で人口流出が激しかったが、近年「過疎を逆手にとる会」(2001年「逆手塾」と改称)など県北の農村再興の中心となっている。1985年、セツブンソウの自生が確認され、以後、セツブンソウの栽培が行われている。龍興寺(りゅうこうじ)には行基(ぎょうき)作と伝えられる観音(かんのん)像がある。
[北川建次]
『『総領町誌』(1994・総領町)』
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…これは律令的な地方官で,その官制は長官・次官・主典(判官ともある)の三等官制だったようであるが,定員の規模はのちの令制の国司よりもかなり大きく,管轄区域も令制の数国にまたがる広域支配のものであった。したがって当時国司の文字が当てられていたかどうかは疑問で,《常陸国風土記》ではこれを総領と呼んでいる。この国司ははじめとくに造籍・校田と民間の武器の収公を任務とし,民政全般をつかさどったわけではなく,裁判権も認められなかったが,大化末年から白雉年間(650‐654)にかけてのちの令制につながる国郡制が整えられていき,その結果この広域支配の国司は一部の地方を除いて消滅したとみられる。…
※「総領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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