デジタル大辞泉
「管叔」の意味・読み・例文・類語
かん‐しゅく〔クワン‐〕【管叔】
[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。
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かん‐しゅくクヮン‥【管叔】
- 中国、周の文王の第三子。武王の弟。周公旦の兄。名は鮮。管に封ぜられ、紂王の子武庚を補佐して、殷(いん)の遺民を支配。武王没後、武庚を擁して周にそむき、周公によって殺された。前一一一〇年頃没。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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管叔
かんしゅく
Guan-shu; Kuan-shu
中国,周の文王の子,周公旦の兄弟と伝えられる。名は鮮。武王が殷を滅ぼして,殷の故地に武庚を封じたとき,その監視役として弟の蔡叔らとともに河南に封建されたが,武王死後武庚と通じて反乱を起し,周公らに滅ぼされたという。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の管叔の言及
【周】より
…武王は東方支配のために洛邑(洛陽市西郊)を建設しようとして果たさず,鎬京に帰還して数年後に死亡した。位を継いだ成王が幼少のため,叔父の周公旦(武王弟)が一時政治を行ったが,殷の監視のため東方に派遣されていた管叔(武王弟)らが,周公が王位を奪うと疑って反乱を起こし,これに殷の旧領を支配していた紂王の子の武庚が加担し,大動乱が起きた。周公は成王の命を受けてこれを鎮圧し,殷の残存勢力を一掃して,周の支配を確立した。…
※「管叔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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