箱田城跡(読み)はこだじようあと

日本歴史地名大系 「箱田城跡」の解説

箱田城跡
はこだじようあと

[現在地名]北橘村下箱田 城山

橘川・木曾きそ川の二川が山麓原を削って形成した舌状台地の突端、山麓崖上に火山泥流が残した溢流によって形成された小丘じよう(二〇九メートル)の山頂を基本にした丘城。単郭で長軸(北西―南東)一四〇メートル、横幅七五メートル。土居・空濠など遺構をよく残す。二メートルを超す高土居、虎口枡形などを備えているところから考えて、戦国末期の築造または修築と思われる。築城者は不明。伝説では木曾義仲の遺臣が沼田伊予守家国を頼り、遺子義基を奉じてここに居城したという。正徳三年(一七一三)の淵岡武太夫書状(木暮文書)厩橋(前橋)境の箱田掻上に神谷氏の臣今井新左衛門が居城したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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