日本歴史地名大系 「篠岡村」の解説 篠岡村しのおかむら 福井県:坂井郡丸岡町篠岡村[現在地名]丸岡町篠岡与河(よこう)村の南に位置する小農村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図や正保郷帳では田屋(たや)村に含まれていたが、元禄郷帳で田屋村の枝村として独立、村名が記載される。総石高は二六四・二二石。八(はつ)ヶ盛(もり)のうちの一村(→田屋村)。丸岡藩領。天保九年(一八三八)の御領分高免牛馬男女竈改帳(高椋家文書)によれば、戸数一〇、人数六一、馬四頭であった。天正四年(一五七六)村の西部篠岡山(愛宕山)に柴田勝豊が丸岡城築城に際して愛宕大権現を豊原(とよはら)から勧請、武運と火除の祈願所とし、丸岡城下竹田口(たけだぐち)町の真言宗円福(えんぷく)院を別当寺とした。 篠岡村ささおかむら 岡山県:赤磐郡瀬戸町篠岡村[現在地名]瀬戸町笹岡(ささおか)笹岡村とも記された。砂(すな)川の西側にあり、長尾(ながお)山(一三六・一メートル)南麓に集落がある。東の川向うは瀬戸村。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の草部(くさかべ)郷に村名がみえ、寛永備前国絵図では六九五石余。「備陽記」によれば山寄り集落で、岡山京橋(現岡山市)まで道程二里二五町。田畠五四町四反余、家数一一二・人数六七五、池七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報