日本歴史地名大系 「笹岡村」の解説 笹岡村ささおかむら 福井県:坂井郡金津町笹岡村[現在地名]金津町笹岡正保の越前国絵図には、金津宿から北陸街道とは別に東に進み、牛(うし)ノ谷(や)峠を越えて加賀国熊坂(くまさか)村(現石川県加賀市)に通ずる道が記されるが、当村はこの道に面し、加越山地を流れる熊坂川西岸にある。鎌倉末期のものとされる坪江上郷条々(大乗院文書)の坪江(つぼえ)上郷の条里を記した個所に、「十二条四里 五里 佐々岡」とみえる。また室町中期以前のものと思われる河口庄御検注郷々仏神田注文(神宮寺文書)にも、河口(かわぐち)庄細呂宜(ほそろぎ)郷内の田地として「佐々岡今春日田 弐反百八拾歩」とある。 笹岡村ささおかむら 秋田県:秋田市外旭川地区笹岡村[現在地名]秋田市外旭川 笹岡南は神田(かんだ)村、西は飯田(いいだ)村・八柳(やつやなぎ)村に接し、泉(いずみ)山に続く袴腰(はかまごし)山(七〇・九メートル)南麓の集落。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に村名がみえる。「六郡総諸寺院由緒」(県立秋田図書館蔵)によれば、日吉(ひよし)八幡(現秋田市八橋)が元亨二年(一三二二)新城笹岡(しんじようささおか)に造営され、応永年間(一三九四―一四二八)五十丁(ごじつちよう)に移るまでこの地に祀られていた。 笹岡村ささおかむら 岡山県:英田郡大原町笹岡村[現在地名]大原町笹岡下庄(しもしよう)村の北西に位置。天和三年(一六八三)吉野(よしの)川対岸の今岡(いまおか)村より分村したという(東作誌)。正保郷帳では同村の内。寛政四年(一七九二)の美作国中領地分に村名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by