米朝直接協議(読み)べいちょうちょくせつきょうぎ

知恵蔵 「米朝直接協議」の解説

米朝直接協議

米国北朝鮮は公式には休戦状態にある。北朝鮮にとって金正日(キム・ジョンイル)体制維持に向けた最大の課題は米国との国交正常化だ。クリントン政権期の2000年に米朝関係はかなり進展したが、01年就任のブッシュ大統領は北朝鮮問題でクリントン大統領の政策を否定する「ABC(Anything But Clinton)」路線をとり、米朝関係は大きく冷え込んだ。そのブッシュ政権が07年になって北朝鮮に対する姿勢を根本的に変えた。米朝直接協議に積極的に応じ、局面打開を図るようになったのだ。ブッシュ氏は02年の一般教書演説で北朝鮮をイラクイランとともに「悪の枢軸」と非難し、「ならず者国家」、金正日総書記を「暴君」と呼んだりして毛嫌いしてきた。02年10月の米高官訪朝で北朝鮮にウラン濃縮疑惑を突き付けたが、その後は北朝鮮との直接協議は避け、核問題の6者(6カ国)協議の会場片隅で形ばかりの「米朝協議」に臨んだだけだった。しかし、ブッシュ政権最大の外交課題であるイラク政策に失敗し、中東安定化への展望も開けない。おまけに、北朝鮮を無視した結果、北朝鮮は核保有宣言・核開発再開・核実験にまで突き進んだ。クリントン政権が米朝枠組み合意でまがりなりにも北朝鮮の核施設を凍結させていたのに対し、これでは北朝鮮の核危機を招き深めただけで外交成果は何もない。そんな批判が米内外から出てきた。成果を出しやすいのは、中東よりも北朝鮮問題だ。そうした思惑からだろう、06年10月9日の北朝鮮核実験の後、ブッシュ政権は北朝鮮との直接協議へと大きくかじを切り、6者協議での核問題解決を促すための米朝間の合意づくりを目指した。ベルリンで07年1月16〜18日の3日間、6者協議の米首席代表ヒル国務次官補と北朝鮮の同代表・金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官が酒食もともにしながら話し込んだ。核放棄と米朝国交正常化への道筋を探り合い、北朝鮮メディアは「一定の合意に達した」と報じた。これが6者協議の翌2月合意につながる。北朝鮮の核施設停止・封印を経て、07年9月1〜2日、米朝正常化問題を扱う6者協議米朝作業部会がジュネーブで開かれ、ヒル代表は記者団に2日、「北朝鮮が年内にすべての核計画の完全な申告と核施設の無能力化をすることで合意した」と語った。北朝鮮外務省は3日、これに合わせて米国が北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除すると述べた。北朝鮮はこの指定解除を「米国の敵視政策撤回」の1つとして重視し、完全な核計画申告と組み合わせて臨む強い姿勢を維持し年を越した。一方、ヒル代表は07年6月と12月に訪朝し、12月の際はブッシュ大統領が金総書記に「親愛なる委員長殿」と呼びかける異例の親書を送り、6者協議合意の実行を促した。

(小菅幸一 朝日新聞記者 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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