デジタル大辞泉
「枢軸」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
すう‐じく‥ヂク【枢軸】
- 〘 名詞 〙
- ① 戸のくるると車の心棒。転じて、中心となる軸。
- [初出の実例]「故に日月の行は、南極、北極を以て枢紐とせず、別に又一枢軸あり」(出典:乾坤弁説(1656)利)
- [その他の文献]〔汪克寛‐紫微垣賦〕
- ② 物事の大事な所。肝要な箇所。活動の中心。また、政治機関や権力の中心。かなめ。〔漢語字類(1869)〕
- [初出の実例]「抑も東京は帝国の首都として、政治経済の枢軸となり」(出典:帝都復興に関する詔書‐大正一二年(1923)九月一二日)
- ③ 第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本、ドイツ、イタリア三国およびその同盟国相互間に結ばれた反共、反ベルサイユ体制の友好関係。
- [初出の実例]「防共は東西一に枢軸(スウジク)は今や厳たり」(出典:国民歌謡・大建設の歌(1938)〈柴野為亥知〉)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
枢軸
すうじく
Axis
国際関係のうえで親密な友好関係にあり、共同行動をとる国々をいう。たとえば、パリ‐ボン枢軸などとよばれる。このことばは、1936年10月イタリア外相チャーノのドイツ訪問の際にドイツ・イタリア両国の協力と共同行動を約し、ついで11月イタリア首相ムッソリーニが、ローマとベルリンを結ぶ垂直線を「枢軸」としてヨーロッパの国際関係が転回するであろう、と演説したことから有名になった。すでにハンガリーのゲンベシュ首相も1934年同じ枢軸ということばをベルリンとローマの線について使っていたが、このムッソリーニ演説以後ドイツ・イタリア関係についてローマ‐ベルリン枢軸という語が流行した。やがて両国の力関係にふさわしくベルリン‐ローマ枢軸という語になった。1940年9月の日本・ドイツ・イタリア三国軍事同盟の成立以後は日本を加えて東京‐ベルリン‐ローマ枢軸ということばが生まれ、さらに第二次世界大戦において日本・ドイツ側にたった交戦国は枢軸国とよばれた。
[斉藤 孝]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
普及版 字通
「枢軸」の読み・字形・画数・意味
【枢軸】すうじく(ぢく)
機関の中軸。かなめの地位。〔儒林公議、上〕
仲淹入りて宰
に參じ、富弼繼ぎて樞軸を秉(と)る。二人、天下の務を以て己の任と爲す。字通「枢」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
Sponserd by 