朝日日本歴史人物事典 「米津親勝」の解説
米津親勝
生年:生年不詳
江戸初期の徳川家康の臣。通称は清右衛門尉。諱は正勝,頼勝,清勝,春茂,政信ともあるが,親勝と署名した文書が残る。米津常春の次男。家康に仕え,小牧・長久手の戦,関ケ原の戦などに参陣した。家康出頭人の地位にあり,慶長5(1600)年堺政所となる。同9年三河国検地の奉行を務める。当時親勝は,幕府の三河国支配の中心的存在であった。また,同10年代には近江国支配にも関与している。同16年板倉勝重と共に山城国検地の奉行を務めた。同17年常春の遺領を継承。同18年摂津の芥川村民と紛争し,罷免され阿波に配流となる。翌年配流地で切腹。大久保長安事件に連座したとされる。<参考文献>巽俊雄「西三河における慶長九年の検地奉行系統」(『幸田高校研究紀要』15号),山本英二「幕藩初期三河国支配の地域的特質」(『国史学』138号),多田文夫「慶長期の東海地域検地と支配―三河国から―」(『駒沢史学』43号)
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報