日本歴史地名大系 「米良・米良山」の解説
米良・米良山
めら・めらやま
九州山地の中央部、一ッ瀬川上流域の総称で、現在の児湯郡西米良村全域と同郡
〔中世〕
年未詳七月二一日付の島津立久(文明六年没)の書状(旧記雑録)によると、立久は
米良一揆は肥後国人吉方面へも進出を企てていた。肥後相良家の「八代日記」天文二年四月五日条には「米良より久米ニよする」、同一四年七月一二日条には「米良ヨリ湯前ニ動候」とみえ、肥後の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報