粕毛村(読み)かすげむら

日本歴史地名大系 「粕毛村」の解説

粕毛村
かすげむら

[現在地名]藤里町粕毛

北は津軽領、東は藤琴ふじこと村、西は水沢みずさわ(現峰浜村)梅内うめない(現二ッ井町)、南は矢坂やさか村に接する。藤琴川から分流する粕毛川に沿った河岸段丘上に集落が発達し、村域の大部分は山地

「梅津政景日記」元和三年(一六一七)六月一四日条に「今朝罷帰候ハんと存、かすけ迄罷出候処ニ」とあり、同五年二月二二日条には「糟毛村新開畑替根城と申所」とある。村名の由来は、明応年間(一四九二―一五〇一)に加嶋運慶が開発して加嶋野かしまの村と称し、のちに転じて春日野かすがのと称したのが転じたといわれる(藤里町誌)。粕毛川中流の台地上に縄文土器石器が発見されるが、根城岱ねじようだい付近が最も早く開発されたらしく、岩切沢いわきりざわの不動堂別当青山氏の系図に、「開祖錦戸殿根城ニ居住、その後比内達森にて死去、正治亥二年四月」とある(同書)。菅江真澄も「根城などは柵のあととか、うべ、その悌のあり」(しげき山本)と記す。

村の開発は近世に入ってから本格化し、他村からの移住者によって支郷が多く成立した。


粕毛村
かすげむら

[現在地名]土浦市粕毛

宍塚ししつか村の東に位置する。江戸初期に土浦藩領となり、寛永一〇年(一六三三)佐野子さのこ村から分れ、西尾忠照によって検地が行われた(「県方集覧」酒井泉氏蔵)。慶応元年(一八六五)作製の粕毛村絵図(国立史料館蔵)には備前びぜん川からの用水堀・悪水溝が描かれている。諸事留(中島保氏蔵)に「一、享保六年丑年秋大洪水ニテ粕毛水門下切レハ田畑ヒタリ候」とあり、度々洪水にあっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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