粟野浦(読み)あわのうら

日本歴史地名大系 「粟野浦」の解説

粟野浦
あわのうら

[現在地名]豊北町大字粟野 浦

油谷ゆや湾南側に位置し、粟野村を北流する粟野川河口にあたる。

慶長一五年(一六一〇)検地帳では浦屋敷数が九で塩浜方一石七斗八升が課せられている。浦浮役はないから純粋な漁村ではなかったのであろう。一説では大内氏の残党が住みついたとも伝える。幕末の豊浦藩明細書では戸数七〇軒で、本軒一〇軒分の地料銀八九匁と、馳走銀七匁五分六厘が課せられている。「地下上申」に、「四季共に鯛其外年中何に不寄小猟仕候」「当所白魚取候」とある。

粟野浦は古来から魚類の豊富な湾外のつの島沿岸の漁場には出漁しなかったらしい。これは粟野浦が藩の回送船基地とされたこと、また風待港として船舶の出入りが多かったことなどによると考えられ、内湾的漁業の釣・延縄および小網類の漁などによる雑収入で生活し、漁業を専業とするものは少なかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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