改訂新版 世界大百科事典 「粥田荘」の意味・わかりやすい解説
粥田荘 (かいたのしょう)
筑前国鞍手郡(現福岡県宮若市,旧宮田町)の1/3を占める荘園。立荘事情は不明。北条政子により高野山金剛三昧院に寄進され,鎌倉幕府の保護を受けた。1281年(弘安4)異国警固の兵粮料所となったが,5年後返還。1392年(元中9・明徳3)半済施行を契機に武家の侵略が激しくなり,少弐氏被官宗氏と大内氏被官杉氏が,領国支配をめぐって抗争を繰り返した。荘主は幕府,本家成勝寺,御室門跡に愁訴して支配の回復を図るが,戦国期には,杉氏の領地となり荘園としての実体を失った。荘政所,市場が堺郷(現,直方市)におかれ,雑掌,田所,公文,散仕,名主などの給田や,紺搔,鍛冶,土器,皮染などの手工業者の存在状況,進上品の芦屋釜の流通などについて知られている。在地武士としては鳥羽院の武者所を務めた粥田経遠がおり,保元のころ,宇佐宮末社の椿八幡宮に押妨を行ったとがで下野国に遠流となった。
執筆者:正木 喜三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報