約庵徳久(読み)やくあん とくきゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「約庵徳久」の解説

約庵徳久 やくあん-とくきゅう

1313-1376 南北朝時代の僧。
正和(しょうわ)2年生まれ。臨済(りんざい)宗。紀伊(きい)大慈寺(和歌山県)の高山慈照師事。のち元(げん)(中国)にわたり天寧寺の楚石梵琦(そせき-ぼんき),霊巌寺了庵清欲にまなぶ。浙江省(せつこうしょう)嘉興県の円通寺の住持となり,慈照の法をついだことを表明。永和2=天授2年9月24日同寺で死去。64歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の約庵徳久の言及

【留学】より

…しかし,1299年(正安1)に一山一寧(いつさんいちねい)が元の国使として来朝したころから,日中両国間の往来もようやく活況をとりもどすようになり,14世紀初頭に竜山徳見が留学したのをはじめとして,1326年(嘉暦1)の40人,44年(興国5∥康永3)の数十人,51年(正平6∥観応2)の18人などの集団留学もあって,こののち明初にかけて約70年間ほどは,日本の留学僧の往来がもっとも盛んな時期であった。彼らは各地の名僧をたずねて,熱心に参禅修行をつみ,しかも,46年にわたって留学生活を送った竜山徳見を筆頭に,30余年の約庵徳久,24年の無涯仁浩,23年の椿庭海寿,22年の雪村友梅,21年の復庵宗己,古源邵元,古鏡明千,20年の無我省吾,17年の友山士偲,15年の大拙祖応などのように,きわめて長期間にわたって本格的に大陸禅を学んだものが多かった。その結果,留学僧たちのなかにはその業績を認められて,たとえば,北京に大覚寺を開いた東洲至道,長安の翠微寺に住した雪村友梅,洪州隆興府の兜率寺に住した竜山徳見,秀州嘉興府の円通寺に住した約庵徳久,鄞(ぎん)県の福昌寺に住した椿庭海寿,羅陽の三峰寺に住した大初啓原などのように,大陸の名刹の住持などの要職を勤めたものも少なくない。…

※「約庵徳久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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