江戸時代の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国,山東省長清県の泰山の北西麓,方山の麓にある仏寺。4世紀,北朝の前秦時代に天竺僧の朗が説法した地と伝え,初唐に慧崇(えすう)が中興,宋代に拡張整備されて以来,天台の国清寺,江陵の玉泉寺,南京の棲霞寺と並び天下四絶と称せられた。正殿の千仏殿は明代の再建だが,殿内の羅漢塑像40体は宋代の作。殿西側の辟支塔は北宋,11世紀半ば再建の8角9層塼(せん)塔で,頂に鉄刹をのせる。このほか魏代と伝える法定塔,唐代建立の慧崇塔をはじめ,元・明・清時代の墓塔群が林立する。また李邕(りよう)の《霊巌寺頌碑》をはじめ歴代の碑碣(ひけつ)が多く残る。〈泰山に游びて霊巌に游ばざればその游をなさず〉といわれるように,勝景の地としても知られる。
執筆者:田中 淡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都江東(こうとう)区深川白河町にある浄土宗の寺。山号は通本山東海院(どうほんざんとうかいいん)。1620年(元和6)ごろ、霊巌が沼地を埋めて霊巌島(中央区霊岸島)をつくり、本堂、庫裡(くり)、方丈(ほうじょう)などを建立したのに始まる。1657年(明暦3)大火で類焼したが、翌年現在地に替え地を得て再建された。三別院ができ、八か寺の子院、七谷90舎の学寮があって隆盛となったが、再三の焼失で縮小された。早くから関東十八檀林(だんりん)の一つとなり、多くの学僧を世に送り出して有名であった。のち松平定信(さだのぶ)の菩提(ぼだい)所としても知られた。
[玉山成元]
『大橋俊雄著『霊巌寺史』(1981・霊巌寺)』
…18の数は増上寺12世存応(ぞんのう)が徳川家康とはかり弥陀の十八願に擬して松平十八公の盛運を祈らしめたことによると伝えられ,その成立は1602年(慶長7)あるいは15年(元和1)といわれる。しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。…
…東京都中央区新川の旧名。日本橋川下流の新堀と亀島川にはさまれた島で,はじめ江戸の中島と呼ばれたが,1624年(寛永1)に霊巌雄誉が霊巌寺を建立したところから名がついた。明暦の大火後に寺が深川に移転したのち町屋が増加した。…
※「霊巌寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新