納富 寿童(初代)
ノウトミ ジュドウ
- 職業
- 尺八奏者(琴古流)
- 肩書
- 重要無形文化財保持者(尺八)〔昭和42年〕
- 本名
- 納富 安治(ノウトミ ヤスジ)
- 別名
- 後名=納富 寿翁(ノウトミ ジュオウ)
- 生年月日
- 明治28年 10月20日
- 出生地
- 佐賀県 佐賀市
- 学歴
- 佐賀中卒
- 経歴
- 中学時代から尺八を始め、大正4年上京。琴古流の3代目荒木古童の内弟子となり、5年寿童を名乗った。7年独立し、寿会を主宰。教授所を開き、荒木古童を主宰者に童窓会を結成、幹事を務めた。昭和6年荒木派独自の楽譜を出版。日本三曲協会理事を務めた。10年師匠死去で事実上の荒木派統帥となり、琴古流尺八家の代表的存在として活躍。42年人間国宝に認定。48年嗣子・哲夫に寿童の名を譲り、寿翁と改名。
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和41年〕,勲四等瑞宝章〔昭和45年〕
- 没年月日
- 昭和51年 2月24日 (1976年)
- 家族
- 長男=納富 寿童(2代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
納富 寿童(1代目)
ノウトミ ジュドウ
大正・昭和期の尺八演奏家(琴古流)
- 生年
- 明治28(1895)年10月20日
- 没年
- 昭和51(1976)年2月24日
- 出生地
- 佐賀市
- 本名
- 納富 安治
- 学歴〔年〕
- 佐賀中学校卒
- 経歴
- 中学時代から尺八を始め、大正4年上京。3代荒木古童の内弟子となり、5年寿童を名乗った。7年独立、教授所を開き、荒木古童を主宰者に童窓会を結成、幹事を務めた。昭和6年荒木派独自の楽譜出版、寿会を主宰、日本三曲協会理事を務めた。10年師匠死去で事実上の荒木派統帥となり、琴古流尺八家の代表的存在として活躍。42年無形文化財保持者に認定された。48年寿翁と改名、嗣子哲夫に寿童の名を譲った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
納富寿童
のうとみじゅどう
(1895―1976)
琴古(きんこ)流尺八家。初世。本名安治。旧制佐賀中学4年のころ尺八を始め、2年後の1915年(大正4)東京に出て3世荒木古童(こどう)に内弟子入りをした。16年に寿童を許され、17年には代稽古(だいげいこ)を勤めるまでになった。23年に3世古童没後、琴古流荒木派の主軸として活躍。一方、吉田晴風(せいふう)、井上重美、初世青木鈴慕(れいぼ)、神如道(じんにょどう)ら5人の尺八家で竹道会を結成、派を越えて琴古流隆盛に努め、67年(昭和42)尺八界では初の重要無形文化財保持者に認定された。その長男哲夫(1929― )が2世を継いでいる。
[月溪恒子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
納富寿童(初代) のうとみ-じゅどう
1895-1976 大正-昭和時代の尺八奏者。
明治28年10月20日生まれ。琴古流(きんこりゅう)荒木派3代荒木古童に入門,大正5年寿童を名のる。7年独立して寿会を主宰,以後流派の中心として活躍。昭和42年人間国宝。48年寿童の名を長男にゆずり,寿翁と号した。昭和51年2月24日死去。80歳。佐賀県出身。佐賀中学卒。本名は安治。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
納富 寿童 (のうとみ じゅうどう)
生年月日:1895年10月20日
大正時代;昭和時代の尺八演奏家。日本三曲協会理事
1976年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報