紙町(読み)かみちよう

日本歴史地名大系 「紙町」の解説

紙町
かみちよう

[現在地名]盛岡市かみ橋町はしちようなど

中津なかつ川に架かる上の橋両岸の東西一町半ほどの町人町(盛岡砂子)。東は内加賀野うちかがの小路、西はほん町。東岸の南は鍛冶かじ町、北は上の橋河岸とその北の堀を隔てて外加賀野裏小路に接する。寛永城下図によれば、上の橋東方の北側の片側町のみ紙町と記され、屋敷数七。上の橋西側の川原には両側町の川原かわら町がみえ、屋敷数六。紙町から川原町への通りは奥州街道で、西の銅屋どうや(のち本町の一部)きよう(のちの本町)に至る。なお川原町はのち当町に含まれ、元文城下図では上の橋西岸にも両側町の町人町が形成されており、西の本町に接する。天明八年(一七八八)の家数一九・人数一三一(邦内郷村志)。文化九年(一八一二)紙丁と改称(御家被仰出)。上の橋河岸は同橋東端より北に入り右折する一町ほどの袋小路で、かつては紙町袋町と称された(盛岡砂子)


紙町
かみまち

[現在地名]水戸市ほん町二―三丁目・やなぎ町二丁目

うら四町目の東にあり、北に向かって本四町目・本五町目と裏五町目の三つの道をうけて竹熊たけくま町に至る町。東は白銀しろかね町・本五町目・裏五町目・銭谷前ぜにやまえ、北は竹熊町。裏五町目へ入る辺りに小豆洗あずきあらい橋があった。町名をのち青物あおもの町と称し、「水府地名考」に「昔は此町にて、紙類を商買せしゆへの名なるべし、然るに近世は、八百屋類多く住せるゆへ、文化元年五月今の町名にハ改む」とある。「新編常陸国誌」は「其長三十間五尺アリ〔古記云、東側七十八間、西側五十八間、戸数三十一〕」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android