素鵞神社(読み)そがじんじや

日本歴史地名大系 「素鵞神社」の解説

素鵞神社
そがじんじや

[現在地名]小川町小川 古城内

園部そのべ川の左岸御殿山ごてんやまに位置し、小川城跡の外曲輪にあたる。祭神は建速須佐男命。旧村社。由緒(橋本家文書)は享禄二年(一五二九)小川村の橋本源左衛門と同孫左衛門兄弟が園部川河口で神像を拾い、(華)ぞう院に祀ったのが始まりという。小河村別当花蔵院由来書(「小川町史」所収)によると、翌年城主宮内少輔が陽神の建速須佐男命を城外、陰神の櫛稲田姫を城内の二ヵ所に分祀、建速たけはや神社・稲田いなだ神社と称した。建速神社は牛頭天王ごずてんのう宮と称したが、天保年間(一八三〇―四四)素鵞神社と改め、明治三年(一八七〇)現在地に遷座、小川村鎮守となる。


素鵞神社
そがじんじや

[現在地名]玉造町浜

新宮しんぐうにあり、祭神は素盞嗚命。通称は天王様で旧村社。境内社に子安神社など六社がある。「茨城県神社誌」によれば、荒原あらはら庄開発の先人が大宝年中(七〇一―七〇四)に鎮斎して、初め大宝神社と称したが、享禄年中(一五二八―三二)に再建されたという。鎮守開基帳(彰考館蔵)には「前々より見捨無証文、高弐石四斗三升四合、禰宜主水、此禰宜ハ先年より代々当所罷在右之天王仕配仕来申候、在郷旦那八十人」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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