紫波洲崎城跡(読み)しわすざきじようあと

日本歴史地名大系 「紫波洲崎城跡」の解説

紫波洲崎城跡
しわすざきじようあと

[現在地名]宮崎市折生迫

青島南方、海岸に突き出したじよう山の山頂にある。東は日向灘に面し、西は突浪つくなみ(筑波)川が流れる要害の地。紫波須崎とも記される。「日向記」によれば、文安元年(一四四四)頃の城主は長井式部少輔であったが、伊東祐尭が当城を望んだため少輔の一族長井美作守が祐尭の使いとして少輔の説得に当たった。初めは拒んでいた少輔もついに開城し、祐尭は川崎五郎左衛門良正を地頭に任じた。文明一二年(一四八〇)祐尭の子祐国のとき島津忠昌は祐国の臣木脇右馬頭・日高周防介を抱込み飫肥おびを進発、当城を攻め落した。佐土原さどわら(現佐土原町)にいた祐国は大軍を率い加江田かえだに押寄せ合戦となり、島津勢は敗退して飫肥へ退いたという。永禄(一五五八―七〇)頃の城主は川崎上総守・同和泉守であった。

日向が島津氏の領国となってからは宮崎地頭上井覚兼の父薫兼が城主となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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