デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川忠隆妻」の解説 細川忠隆妻 ほそかわ-ただたかの-つま ?-1641 織豊-江戸時代前期,前田利家の7女。母は芳春院。慶長5年忠隆が徳川家康の会津攻めにしたがって出陣中,大坂の屋敷にとどまる。石田三成方の人質要求を拒否し義母の細川ガラシャが自殺した際,侍女につれだされ脱出。おこった義父忠興に離婚を命じられて実家にもどり,のち再婚した。寛永18年11月20日死去。名は千世。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例