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結城城 ゆうきじょう

日本の城がわかる事典の解説

ゆうきじょう【結城城】

茨城県結城市にあった平山城(ひらやまじろ)。室町時代から戦国時代の結城氏の居城。また、江戸時代の結城藩の藩庁が置かれた城である。平安時代末期の1183年(寿永2)、結城郡の地頭職に補任された下野国(栃木県)の小山(大掾)政光の四男結城朝光が城館を築いたのがその起源とされるが、今日残る城跡の発掘調査などから、室町時代の築城と推定されている。この城は結城合戦の舞台となった城として知られる。1440年(永享12)、結城城主の結城氏朝が鎌倉公方足利持氏の遺児を迎え、結城城を拠点に室町幕府に挙兵し、押し寄せた幕府方の大軍を相手に1年近く攻防を続けた末に、結城城は陥落した。その後、結城氏は佐竹氏の庇護の下におかれたが、氏朝の四男成朝が再興を許され再び入城して以降、激しい戦火にさらされながらも江戸時代初めまで結城氏の居城として存続した。1590年(天正18)の小田原の役後に、徳川家康の四男秀康を養子に迎えたことから徳川家との関係を深めた。関ヶ原の戦いの後、城主の秀康が越前国(福井県)に移封、旧結城領は天領(幕府直轄領)となり結城城は廃城となった。その後水野勝長が移封されて結城藩主となり、水野氏が明治に至るまで藩主をつとめた。この間、水野氏は1703年(元禄16)に結城城の再興を許され、かつての城跡に築城を行った。この江戸時代の結城城は、幕末から明治初年にかけての戊辰戦争において、佐幕派が城を占領したことから新政府軍の攻撃を受け、その際、城の建物の多くを焼失した。また、かつての城域の開発が進んだために、その遺構が多数失われた。現在、一部の空堀や水堀が残っており、本丸の一部が城址公園として整備されている。JR水戸線結城駅から徒歩約20分。◇臥牛城とも呼ばれる。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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