綾部城下
あやべじようか
綾部藩の成立は寛永一〇年(一六三三)に九鬼隆季が何鹿・天田両郡内で二万石を与えられて鳥羽(現三重県)から入部したことに始まる。翌年、九鬼氏は綾部郷の東端の下市場・堀之内付近(現川糸町)を城地として居館を構築した。この地は戦国時代の土豪梅原弾正忠の屋敷地で、居館の構築にあたって梅原氏は西方の中村に移ったという。寛永年間古絵図(「綾部町史」所引)によれば、居館は西方を大手とし背後の崖下には綾部井堰水路があり、その外側を由良川が流れている。西方は居館を囲んで家中屋敷があり、その外側に町屋が配置されている。町屋には京町・福知町などの地名がみえる。また、城地の東南より西北にかけて上井溝が流れているが、これはかつて由良川の分水路であったのではないかとみられる帯状の低地で、陣屋・町分と郷方とを画する堀の役割を果している。居館は慶安三年(一六五〇)に全焼し、翌年に南方の上野(現上野町)に移築した。下市場の居館跡付近には今も焼屋敷という通称がある。
上野は本宮山と藤山の鞍部にあたる台地で、綾部郷の大半を眺望することができる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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