日本歴史地名大系 「総光寺」の解説 総光寺そうこうじ 山形県:飽海郡松山町松山城下総光寺[現在地名]松山町 総光寺沢松山町の東部、出羽山地の西方山麓の竹田(たけだ)川上流右岸に位置する。洞滝山と号し、曹洞宗。本尊薬師如来。中山(なかやま)館主佐藤正信が帰依していた陸奥国胆沢(いさわ)郡永徳(えいとく)寺(現岩手県胆沢郡金ヶ崎町)の月庵を開山とし、佐藤正信みずから開基となって至徳元年(一三八四)方五町を寺地とする総光寺を造立、福田二〇〇石を寄進した(「来迎寺年代記」伊藤文書、「佐藤氏系図」佐藤文書)。応永三二年(一四二五)月庵没(洞上聯燈録)。「大泉庄三権現縁記」の永正三年(一五〇六)の記事に「中山片沢ハ総(カ)光寺領也」とある。 総光寺そうこうじ 福井県:福井市福井城下寺町総光寺[現在地名]福井市つくも二丁目寺(てら)町南側にあり、松柏山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。天正一一年(一五八三)北庄(きたのしよう)城主丹羽長秀が菩提所として創立。一時小松(こまつ)(現石川県小松市)に移っていたため、小松総光寺とよばれる。小松への引越後の跡地に鎮徳(ちんとく)寺末の小庵が建てられて丹羽長秀の墓を守ったが、のちに宗徳(そうとく)寺と号し総光寺末となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by