羅瑞卿(読み)らずいきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「羅瑞卿」の意味・わかりやすい解説

羅瑞卿
らずいきょう / ルオロイチン
(1906―1978)

中国の軍人四川(しせん)省南充県生まれ。1926年黄埔(こうほ)軍官学校を卒業し、北伐に参加。1928年中国共産党入党。1930年紅四軍11師政治委員。1934年長征に参加。1937年延安(えんあん)抗日軍政大学学長林彪(りんぴょう))の副学長。1940年八路軍政治部主任となる。のち訪ソして中山大学、ついでコミンテルンの党学校で学ぶ。1945年延安で党中央委員候補となる。1946年晋察冀(しんさつき)軍区政治部主任。1949年新政府の公安相。1950年公安部隊司令。1955年公安軍司令、大将。1956年中央委員。1959年副首相、国防次官、参謀総長。1961年軍事委員会秘書長。林彪国防相に次ぐ実力者となった。1962年党中央書記。1965年5月「連ソと兵器優先」論を主張して林彪と対立、1966年「文化大革命」で彭真(ほうしん)らとともに失脚したが、1975年復活した。1977年中央委員となる。翌1978年8月病死。死亡時には軍事委常務委員兼秘書長であった。

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羅瑞卿」の意味・わかりやすい解説

羅瑞卿
らずいきょう
Luo Rui-qing

[生]光緒30(1904).四川,梁山
[没]1978.8.3. 北京
中国の軍人,政治家。黄埔軍官学校を卒業し,北伐に参加。 1937年延安の抗日軍政大学政治委員。 49~58年公安部長。 56年八全大会で中国共産党中央委員に選ばれ,59年国防部長彭徳懐の失脚後,国務院副総理,人民解放軍総参謀長となった。文化大革命の前に軍の方針について林彪と衝突し,66年8月反革命修正主義集団分子として批判され,失脚。 75年7月人民解放軍の総後勤部副部長,77年十一全大会で中央委員として復活した。 78年「実践は真理を検証する唯一の基準である」討論キャンペーンのなかで,鄧小平を積極的に支持。同年8月北京 (フランクフルトの病院で死亡したという説もある) で病死。

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