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鄧小平 とうしょうへい Deng Xiao-ping

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鄧小平
とうしょうへい
Deng Xiao-ping

[生]光緒30(1904).8.22. 四川,広安
[没]1997.2.19. 北京
中国の政治家。中国共産党の指導者の一人。フランス留学中に中国共産党に入党。帰国後,革命運動,長征に参加し,日中戦争中は八路軍第 129師政治委員,党革命軍事委員会総政治部主任で,1945年党中央委員となった。

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デジタル大辞泉の解説

とう‐しょうへい〔‐セウヘイ〕【鄧小平】

[1904~1997]中国の政治家。四川省嘉定の人。フランス留学中に中国共産党に入党。帰国後、長征・抗日戦に参加。1956年以来、党総書記・政治局常務委員などを歴任。文化大革命と1976年の天安門事件で二度失脚したが、江青ら四人組追放後に復活。1983年に国家中央軍事委員会主席に就任して最高実力者となった。1989年までにほとんどの公職から引退。トン=シアオピン。

トン‐シアオピン【鄧小平】

とうしょうへい(鄧小平)

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世界大百科事典 第2版の解説

とうしょうへい【鄧小平 Dèng Xiǎo píng】

1904‐97
中国共産党の指導者。四川省広安県に生まれた。原名は希賢。勤工倹学生としてフランスに留学,1922年共産主義運動に加わった。24年中国共産党に加入し,27年春に帰国して党活動に専従した。小平の名はこのころから使いはじめたという。29年,広西で武装蜂起を指導し,31年江西の中央革命根拠地に移ったが,左翼冒険主義路線に反対して,指導的職務を追われた。長征に参加,遵義会議に加わり,その後は軍・政の幹部として頭角を現し,45年の7回大会で党中央委員に選出された。

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大辞林 第三版の解説

とうしょうへい【鄧小平】

1904~1997) 中国の政治家。長征・抗日戦に参加。1956年政治局常務委員・総書記。文革と76年の天安門事件で二度失脚するが、77年復活。83年国家中央軍事委員会主席。以後、中国の事実上の最高指導者として、開放政策をすすめた。トン=シアオピン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小平
とうしょうへい / トンシヤオピン
(1904―1997)

中国の政治家。四川(しせん)省広安県生まれ。高級中学(高校)卒業後、1920年フランスに苦学して留学。1922年中国共産党パリ支部に参加、機関誌『赤光』を編集。1925年モスクワ中山大学に留学。1926年帰国。西安(せいあん)で馮玉祥(ふうぎょくしょう)軍の軍事学校教育長。1927年武漢の8・7緊急会議に出席。1929年広西(こうせい)省の百色蜂起(ほうき)を指導、紅七軍政治委員。1933年反主流の毛沢東(もうたくとう)を支持、一時失脚。1934年一軍団政治部員として長征に参加。1935年遵義(じゅんぎ)会議に際して党中央秘書長として毛を支持。『紅色報』編集。抗日戦下1938年八路軍129師団(師団長、劉伯承(りゅうはくしょう))政治委員。中央軍事委員会総政治部主任。1945年党中央委員。1946年内戦で二野戦軍(軍長、劉伯承)政治委員。華中局書記。1949年淮海(わいかい)作戦、長江(ちょうこう)渡河作戦、南京(ナンキン)占領を指導。同年10月新中国成立に伴い人民政府委員。西南局第一書記。1952年副首相。五か年計画が開始された1953年財政相となる。1954年党中央秘書長兼組織部長。1955年「反党分子」高崗(こうこう)の追放に尽くし、政治局員になる。1956年党大会で個人崇拝否定の党報告を行う。なおこの大会で政治局常務委員、総書記。1957年、1960年の世界共産党モスクワ会議に出席。1961年からの経済調整で劉少奇(りゅうしょうき)の市場重視策を支持。1963年中ソ党会談でフルシチョフと論争、決裂。1966年「文化大革命」で劉少奇とともに反毛・走資派の首魁(しゅかい)と非難され、1967年失脚。1973年副首相として復活、同年党中央委員。1974年政治局員。国連資源総会で毛の「三つの世界論」を発表。1975年党副主席、政治局常務委員。第一副首相。参謀総長。周恩来(しゅうおんらい)に従い経済優先を主張。周の死の前後から左派からの集中的批判を浴び、1976年4月第一次天安門事件をきっかけとしてふたたび失脚。同年10月「四人組」が逮捕され、翌1977年三中総で1975年の職に復活。党大会で副主席、政治局常務委員。1978年(昭和53)政治協商会議主席。同年10月来日し日中平和友好条約批准書交換。同年末三中総で毛沢東批判。「改革開放」路線に大転換。1979年1月アメリカとの国交樹立で公式訪米。1981年六中総で党軍事委員会主席。1982年9月党大会で中央委員、政治局常務委員、顧問委員会主任。1983年国家軍事委員会主席を兼ね、中国の最高実力者となる。1982年からイギリス・サッチャー首相と香港(ホンコン)返還をめぐる交渉を行う。1984年中英「一国二制」による香港返還に合意。1989年かつての片腕だった胡耀邦(こようほう)の死をきっかけにして北京(ペキン)で民主化運動が起こった。だが、は民主化運動を武力弾圧、第二次天安門事件が起きた。この事件でのもう一方の片腕であった趙紫陽(ちょうしよう)も失脚。1992年「南巡講話」を発表し「改革開放」のさらなる進展を促す。1997年2月香港の中国返還を見ずに死去。[高市恵之助・渋谷 司]
『竹内実・吉田富夫監訳『小平は語る』上下(1983・風媒社) ▽矢吹晋著『小平』(講談社現代新書) ▽田畑光永著『小平の遺産』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の鄧小平の言及

【中華人民共和国】より

…馬は79年に名誉回復され,〈一人っ子政策〉が開始された。〈四つの現代化〉を目指す鄧小平体制は,今世紀末の人口を12億におさえようとしているが,それでも1人当り耕地面積は2割ちかく減少するし,そのためには自然増加率を0.95%以下におさえねばならない。人口問題こそは,現代中国の行方を占う最重要な鍵の一つである。…

【中国共産党】より

…そのため,生産関係を後退させても生産力の発展を優先させようとする路線と,生産関係の質的充実によって不均衡を発展的に克服しようとする路線の対立が生じ,深刻化した。後者の路線を推進する毛沢東ら主流派は,中ソ論争とからめた世論準備を経て,66年,プロレタリア文化大革命を発動し,劉少奇・鄧小平らのいわゆる〈実権派〉を打倒した。69年4月,文革の勝利を宣言した第9回全国大会では,前大会選出の中央委員・同候補委員で再選された者は3分の1にも満たなかった。…

【文化大革命】より

…73年に始まった〈反潮流〉の動きは,やがて翌74年の〈批林批孔〉運動へとひき継がれるが,その矛先は周恩来に向けられていた。75年には,文革のもたらした内政危機を乗り切るため,指導力のある鄧小平が奇跡の復活をとげ,重病の周恩来にかわって脱文革正常化をすすめるが,76年に入ると再度のまき返しにあい,鄧小平はふたたび打倒される。こうしたなかで,76年4月には〈天安門事件〉が起こり,極〈左〉的言辞を弄することで能事終われりとしている江青など文革派に対する民衆の怒りが爆発する。…

【劉少奇】より

…56年第8回党大会では政治報告を行い,党内ナンバー・ツーの地位を確立した。59年毛沢東の後をうけて国家主席に就任,大躍進政策の失敗と天災による経済の行きづまりを鄧小平党総書記と協力して調整政策を実施して切り抜けた。 しかし66年文化大革命が始まると,8月の8期11中全会で党内序列第8位に格下げされ,その後資本主義の道を歩む党内最大の実権派,〈中国のフルシチョフ〉という非難が集中し,王光美夫人とともに紅衛兵のつるし上げにあった。…

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