日本大百科全書(ニッポニカ) 「彭真」の意味・わかりやすい解説
彭真
ほうしん / ポンチェン
(1902―1997)
中国の政治家。山西省出身。師範学校卒業後、若くして学生運動、労働運動を指導、23歳で中国共産党に入党した。抗日戦争中は劉少奇(りゅうしょうき)のもとで党中央北方局書記として活動、1945年、共産党第7回大会で中央委員に選出され、東北の解放戦争を指導、中華人民共和国成立とともに中央人民政府委員、政治法律委員会副主席に任じ、1951年北京(ペキン)市長、1956年同市党委員会第一書記となった。北京市長兼任のまま全国人民代表大会常務委員会副委員長兼秘書長、1956年の党第8回大会では中共政治局委員、同書記処書記に任じられて、政治の中枢の地位についた。また中国人民政治協商会議副主席、世界平和擁護委員会副議長として国際平和運動にも活躍、ルーマニアやソ連の党大会にも出席して、理論面でも大きな役割を演じた。ところが、文化大革命が始まると、いわゆる「三家村」グループの黒幕ということで、真っ先に批判を浴び、1966年6月、北京市党委員会改組とともに北京市長を解任され、中央におけるすべての地位を失った。その後、新しい情勢のもとで1979年復活、1983年には全国人民代表大会常務委員会委員長に選任され、中枢部に返り咲いたが1988年、辞任。党中央委員その他の公職からも退いた。
[安藤彦太郎]