抗日軍政大学(読み)こうにちぐんせいだいがく(英語表記)Kang-ri jun-zheng da-xue

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「抗日軍政大学」の意味・わかりやすい解説

抗日軍政大学
こうにちぐんせいだいがく
Kang-ri jun-zheng da-xue

中国共産党が抗日戦争中に幹部養成のため設けた学校。中国では抗大略称前身は紅軍大学後身は軍政大学。 1931年秋紅軍学校が創設され,33年 11月紅軍大学となり,江西省瑞金の西方で開校した。校長葉剣英,政治委員瞿秋白。長征の際に幹部団と改名し,36年6月陝西省保安で抗日紅軍大学と改名,校長林彪,教育長羅瑞卿であった。西安事件後の 37年1月,保安で中国人民抗日軍政大学と改名し,校務委員会主席は毛沢東で,延安に移った。各辺区に総計 10校の分校がつくられ,45年までの幹部養成数は十余万に達した。第2次世界大戦後は東北軍政大学と改称,主力を東北におき,49年解放軍の南下に伴い各大行政区ごとに軍政大学が設けられたが,52年頃までに廃止された。ここでの教育方針は「しっかりした政治方針,困難に耐え質素を旨とする作風,機動性に富む戦略・戦術 (以上3つの句) ,団結,緊張,厳粛,活発 (以上の8文字) 」とされ,校則となった。この校則は「三八作風」と称され,解放軍全軍の基本方針として継承された。文化大革命時期に,学校教育分野で抗日軍政大学の意義が再び強調され,66年8月国防委員会副主席葉剣英が行なった「抗日軍政大学式の大学をつくろう」と題する講演が『人民日報』に掲載され,また「全国の軍民は抗大の革命精神に学ぶ」運動が大規模に展開された。

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改訂新版 世界大百科事典 「抗日軍政大学」の意味・わかりやすい解説

抗日軍政大学 (こうにちぐんせいだいがく)
Kàng rì jūn zhèng dà xué

中国人民抗日軍治政治大学のこと,抗大とも略称する。中国共産党が軍幹部養成のため設置した紅軍大学を前身とし,1937年,延安に設立された。当初は軍の中堅幹部,のちには各地から参集する知識青年を対象に短期の思想・政治教育を施して前線に送り出したもので,理論と実際の結合をとくに重視した。1939年,本校を太行山区に移し,各抗日根拠地にも分校を設け,抗日戦8年間に十数万人の幹部を養成し,中共の発展に大きな貢献をした。
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