中国、遼寧(りょうねい/リヤオニン)省の義県県城から北西に9キロメートルの凌河(りょうが)北岸にある仏教石窟(せっくつ)。北魏(ほくぎ)時代に開削された。現在では西区の6窟、東区の7窟および若干の小龕(しょうがん)からなっている。西区には北魏の太和23年(499)4月8日営州刺史(えいしゅうしし)元景(げんけい)造窟記(元景は北魏第2代明元(めいげん)皇帝の曽孫(そうそん))、東区には景明3年(502)5月9日尉喩契丹使(いゆきったんし)韓貞(かんてい)造像記が残っている。二つの貴重な銘文によって、万仏堂が、当地に赴任してきた王族や官僚の発願によって5世紀末から造営されたことがわかる。仏像の多くは風化して後世の補修の跡が甚だしいが、わずかに残る交脚菩薩(ぼさつ)像の浮彫りなどに雲崗(うんこう)様式に通じる北魏仏のおもかげをしのぶことができる。
[佐藤智水]
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...