羽織の衿(えり)につける胸紐。羽織は前身頃(みごろ)があいているので、胸元がはだけないように留めるための付属品である。実用性と装飾性を兼ねる。小物ではあるが、とくに女物の場合、帯締とともに、素材の選択、配色によって、着物全体の着装効果を高めることができる。男物の礼装には白を用い、略礼装の場合には、紺、茶、ねずみ色などの色物を用いる。羽織の組紐には丸組、平組がある。手組は高級品として用いられ、機械組が一般的である。組み方には冠組(かんむりぐみ)、奈良組などがあり、女子用には、このほか、さざ波組、唐組(からぐみ)などがある。特殊なものとしては真珠、サンゴ、べっこう製がある。羽織衿付けには乳(ち)と称する紐通しが縫い付けてあり、羽織紐の根元の輪奈(わな)に、これを通して用いる。男性用には金属性のS環を利用する。
胴服(どうふく)、陣羽織は羽織の祖形とされるが、胴服の紐は平絎(ぐけ)で衿に縫い付けられている。ほかに丸絎、丸打、平打のものもみられる。陣羽織の紐は共布でボタン留めになっている。羽織の紐は時代により好みが変わり、寸法、大きさに変化があった。宝永(ほうえい)(1704~11)のころの紐は、胸高に平打紐をつけボタンがけにし、元文(げんぶん)(1736~41)のころの文金風(ぶんきんふう)の紐は、裾(すそ)まで垂れるほどの長さであった。幕末になると内記打(ないきうち)といって、形は八つ打丸紐に似て、縦横同等の糸で魚子(ななこ)のように組む。中は筒になっていて、これに綿を入れたものがつくられた。また遠州真田(さなだ)といい、薄茶地に藍(あい)糸の筋の入った袋真田を胸紐につけるようになったが、これはかつて小堀遠州が茶道具の箱紐に用いたものという。明治維新後、廃刀令による刀の下げ緒、束巻(つかまき)などの需要減があり、その精巧な技術は帯締、羽織紐に活用された。また婦人の羽織着用の広まりも生産拡大に力を貸した。
[岡野和子]
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