小説家。奈良生れ。本名延貴(のぶたか)。家は代々神官,父は摂津の多田神社の宮司。少年期に母が死去,父は第二,第三の妻を迎えた。この時期の体験がのち《父の婚礼》《第三の母》を生む。大阪に出て堺利彦に会い,そのすすめで上京。1897年読売新聞社に入り,以後二十数年にわたって在社,文芸部長,編集局長などを務める。《小剣随筆その日その日》(1905)は初期読売時代の寸言的,風刺的エッセー。おくれて読売に入社した正宗白鳥と親交,また堺利彦や幸徳秋水らとも交わり,その影響も若干受けた。1906年雑誌《簡易生活》を創刊,消極的改良主義を主張。第1創作集《灰燼(かいじん)》(1908),つづいて《木像》(1911)を刊行,14年《ホトトギス》に発表した《鱧(はも)の皮》は関西独特の情緒と人情の機微を描いた好短編である。小剣文学の特色は京阪の風土,情緒を写生文的筆致で描くところにあった。社会的文芸への志もあったが十分には成功しなかった。《U新聞年代記》(1933)は変体の回想記として有名。
執筆者:紅野 敏郎
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小説家。本名延貴(のぶたか)。奈良市生まれ。家業は神主。大阪予備学校中退。代用教員を経て、1897年(明治30)、堺利彦(さかいとしひこ)の勧めで上京し読売新聞社に入社。編集局長にまでなり、1920年(大正9)退社。そこで、島村抱月(ほうげつ)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)、徳田秋声(とくだしゅうせい)ら自然主義文学者を知り、堺を介して幸徳秋水(こうとくしゅうすい)、白柳秀湖(しらやなぎしゅうこ)ら社会主義者と交わった。この交友の広がりが、作風に自然主義文学にはない社会への目配りをもたらしている。小説の処女作は『灰燼(かいじん)』(1908)で東京・目黒の住民の生態を扱い、関西の商人が主人公の『木像』(1910)で注目された。大阪道頓堀(どうとんぼり)の料理屋の女将(おかみ)の生活を描いた『鱧(はも)の皮』(1914)で文壇的名声を得、翌年にかけて『天満宮』(1914)、『父の婚礼』、『太政官(だじょうかん)』、『お光壮吉』(1915)など佳作を発表。上方(かみがた)市井人の情調ものが得意であった。その後、力作に長編『東京』四部作(1921~47、未完)と、読売時代の見聞を戯曲風につづった『U新聞年代記』(1933)がある。46年芸術院会員。
[吉田正信]
『『日本現代文学全集31 上司小剣他集』(1968・講談社)』
明治〜昭和期の小説家
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