日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖婚神話」の意味・わかりやすい解説
聖婚神話
せいこんしんわ
男神と女神、神と人間などの聖なる結婚hierogamyをテーマとする神話。それから神々とか民族、王家などが発生したとされる例が多い。ギリシア神話では、原古にまず大地女神ガイアが自分の子の天ウラノスと結婚し、ティタンとよばれる神々を生んだ。ゼウスを初めとするおもな神々は、大部分がティタンたちの子や孫なので、ウラノスの後裔(こうえい)ウラニデスとも総称される。日本の神話では、兄妹の神伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が、一面の海だった下界に、最初の陸地淤能碁呂(おのごろ)島をつくったあとで、その上で柱の周りを逆の方向に回り合い、出会ったところで結婚して、日本の国土の島と多くの神々を生み、人間の祖先にもなったと語られている。スキタイ人の神話では、この民族の始祖のタルギタオスは、天の神パパイオスとドニエプル川の神の娘との結婚から生まれたとされていた。高句麗(こうくり)の神話でも、この国を建て初代の東明王となった朱蒙(しゅもう)の母は、やはり川の神の娘の柳花(りゅうか)という女神で、天から降りてきた解慕漱(かいぼそ)という神と、川の底の父の宮殿で結婚したあとで、地上に引き上げられて左のわきの下から大きな卵を生み、その卵から朱蒙が生まれたとされていた。日本の神話でも天孫邇邇芸命(ににぎのみこと)の子で天神だった山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)は、海の主で水の支配者でもあった綿津見神(わたつみのかみ)の娘の豊玉毘賣(とよたまびめ)と、海底の海神(わたつみ)の宮殿で結婚し、そのあとで豊玉毘賣が海から出てきて鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を生んだ。そしてこの鵜葺草葺不合命も、豊玉毘賣の妹玉依毘賣(たまよりびめ)と結婚し、その間に生まれた4人の男の子の末弟だった神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が、初代の神武(じんむ)天皇になったとされているので、この場合にも王家はやはり、天神と水の主の神の娘との結婚から発生したことになっている。
[吉田敦彦]