聖通寺(読み)しようつうじ

日本歴史地名大系 「聖通寺」の解説

聖通寺
しようつうじ

[現在地名]宇多津町 坂下

聖通寺山の南西麓に所在する。真言宗御室派、壺平山宝光院と号し、本尊海中より引揚げたと伝える沖薬師如来。貞観一〇年(八六八)山城醍醐寺開山聖宝が創建、聖宝の二字を分けて寺号・院号とした。鎌倉時代には釈迦堂・三重塔・仁王門など八〇余坊の伽藍を有したというが、のち荒廃、南北朝時代当地を領した細川頼之が伽藍を再興したという(讃岐国名勝図会)。長享二年(一四八八)一二月一九日常陸国六地蔵ろくじぞう(現茨城県東茨城郡常澄村)の禽准(同寺三世恵範)が、当寺護摩堂で梵網経を書写しており(「梵網経古迹補忘鈔」六地蔵寺蔵)、このとき当寺には一宇の経蔵があり、膨大な典籍が所蔵されていた(「恵範記浄不二鈔求得之状写」六地蔵寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android