日本歴史地名大系 「真狩村」の解説 真狩村まつかりむら 北海道:後志支庁真狩村面積:一一四・四三平方キロ昭和一六年(一九四一)一二月、虻田(あぶた)郡真狩別(まつかりべつ)村が真狩村と改称して成立(市町村沿革台帳)。後志支庁管内の南端に位置し、北東部は喜茂別(きもべつ)町など、南東部は留寿都(るすつ)村、西部はニセコ町、南部は胆振支庁虻田郡の洞爺(とうや)村・豊浦(とようら)町と接する。北端部に蝦夷富士ともいわれる羊蹄(ようてい)山(一八九八メートル)、東部に尻別(しりべつ)岳(一一〇七・四メートル)がそびえるほか、標高二〇〇―四〇〇メートルの高原台地をなす。北部を真狩川、中央部を知来別(ちらいべつ)川が流れ、村域西部で合流して西流する。南部東側にオーホナイ川、西側にオロエンヌキベツ川が南流し、いずれも南端で貫気別(ぬつきべつ)川に合流している。総面積の約六割を山林が占め、農地は三割で、ほとんどが畑地。近世には山名・河川名などとして「マツカリヘツ」とみえる。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により胆振国虻田郡に所属。同郡虻田村のうちであったが、同三〇年に真狩村として分立(市町村沿革台帳)。 真狩村まつかりむら 北海道:後志支庁留寿都村真狩村[現在地名]虻田(あぶた)郡留寿都村字留寿都・字向丘(むかいおか)・字黒田(くろだ)・字三豊(みとよ)・字豊岡(とよおか)・字三ノ原(さんのはら)・字西ノ原(にしのはら)・字泉川(いずみかわ)・字登(のぼり)・字旭野(あさひの)、真狩村字真狩など、喜茂別(きもべつ)町字喜茂別など明治三〇年(一八九七)から大正一四年(一九二五)まで存続した村。虻田郡の北部に位置し、明治三〇年七月に虻田村からルスツ(現留寿都村)・キモベツ(現喜茂別町)・マツカリベツ(現真狩村)・マッカリブト(現ニセコ町)の地が割かれて、真狩村が設置された。真狩は村域中央に峻立するマツカリヌプリ(羊蹄山)に由来するという(留寿都村百年史)。ルスツに真狩村戸長役場が設置された(市町村沿革台帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真狩村」の意味・わかりやすい解説 真狩〔村〕まっかり 北海道西部にある村。洞爺湖の北方に位置し,羊蹄山の南麓を占める。 1941年真狩別村から現村名に改称。地名はアイヌ語のマツカリプト (三角州の意) に由来。火山灰質土壌で覆われた標高 200~400mの台地で,ジャガイモ,ダイコン,アズキ,テンサイ,ユリ (食用,花卉用) の栽培,酪農が行なわれる。支笏洞爺国立公園に属し,羊蹄山麓の高山植物群落は天然記念物。面積 114.25km2。人口 2045(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by