日本大百科全書(ニッポニカ) 「背くらべ伝説」の意味・わかりやすい解説
背くらべ伝説
せくらべでんせつ
岩石が人間と背丈を競い合ったという伝説。競(くら)べ石、背くらべ石の伝説ともいう。形状としては、細長く屹立(きつりつ)した奇岩などにこの伝説が多い。さざれ石の巌(いわお)となる『君が代』の歌詞のように、古くから石は長い時間をかけて成長するという信仰があり、それは産石(うぶいし)や子生み石の伝説にも関連があった。このような奇岩から呪霊力(じゅれいりょく)を授けられるというのが、この種の伝説の基盤にあったのである。たとえば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)征伐で筑紫(つくし)に下ったときに、尺岳(はかりだけ)の麓(ふもと)(福岡県直方(のおがた)市頓野(とんの))にある大石にもたれて、その身の丈を比べられたために、尺岳の名がおこったとしている。そのときに大石は尊(みこと)の身の丈より一尺(約30センチメートル)ほど縮んだが、今日も高さ六尺ほどあって尺岳神社に残っているという。福岡県朝倉(あさくら)市にも神功(じんぐう)皇后の丈競べ石が残っている。京都の鞍馬(くらま)山にある牛若背競べ石(京都市左京区)は、牛若が僧正ヶ谷の兵法修業を行うごとに成長を念じて毎夜身の丈を比べたとも、金売吉次(かねうりきちじ)とともに奥州に下る際に比べたともいわれる伝承をもつ。京都府亀岡市には弁慶の背競べ石というのがある。そのほか競べ石の伝承には、力を試そうとした石もあり、これもその信仰の基盤となるのは前述と同じく呪霊力を授けられた、とするものである。曽我(そが)五郎が仇討(あだうち)の大望の実現を試みた力石(小田原市曽我谷津)などもある。石占(いしうら)に行われたものに武勇譚(たん)が付会したものであろう。また、成年戒に用いられたと思われる、触れると呪力の授かる石というのもある。
[渡邊昭五]