金売吉次(読み)カネウリキチジ

デジタル大辞泉 「金売吉次」の意味・読み・例文・類語

かねうり‐きちじ【金売吉次】

源平時代陸奥むつ黄金を京で売り、長者になったという伝説的な人物源義経陸奥国藤原秀衡ふじわらのひでひらもとへ案内したという。

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精選版 日本国語大辞典 「金売吉次」の意味・読み・例文・類語

かねうり‐きちじ【金売吉次】

  1. 源平時代、東北地方の黄金と京の物品とを交易して長者になったといわれる人物。牛若丸(源義経)を奥州の藤原秀衡のもとまで送り届け、源氏興隆の有力な援助者となった。のちに、堀彌太郎と改名したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「金売吉次」の意味・わかりやすい解説

金売吉次 (かねうりきちじ)

鞍馬山にいた牛若丸を奥州の藤原秀衡のもとに連れ出した金商人(こがねあきんど)。生没年不詳。橘次末春とも吉次信高とも名のる。弟に吉内・吉六がいた(幸若舞曲烏帽子折》など)ともされる。《平治物語》(古活字本),《平家物語》剣巻,《源平盛衰記》《義経記》などに登場し,各地に伝説としても伝わる。《玉葉》文治3年(1187)9月の記事に,当時,奥州を中心に砂金を売買する商人が活躍した由が見え,吉次も都と奥州とを往来する金商人のひとりと考えられる。《義経記》に,吉次は大福長者で,鞍馬の多聞天を信奉し,〈(牛若丸を)かどはかし参らせて,御供して秀衡の見参にいれ,引出物とりて徳つかばや〉と強欲で人買的なところを見せる。《十二段草子》,御伽草子《秀衡入》,幸若舞曲《烏帽子折》などでは,吉次は牛若丸を虐待酷使する。吉次伝説は全国に広く分布し,昔話としても語られ,その遺跡と称するものも多い。各地の伝説では,吉次を炭焼藤太の名とも,その子の名ともされ,あるいは黄金採掘で富を築いた富豪の名とも,その召使の名ともされ,一面では致富譚として伝えられ,他面では非業の死を遂げる没落譚として伝えられる。《平治物語》に義経の郎従堀弥太郎を金商人とし,《弁慶物語》に〈金細工の吉内左衛門信定〉〈腹巻細工の四郎左衛門吉次〉なる者が登場し,《平治物語》《烏帽子折》に義経元服の地とされる鏡宿が鋳物師いもじ)村とも称されたことなどから,炭焼・鋳物師・金細工・金商人は相互に交流があって,これらの漂泊民が義経・吉次伝説の成長・伝播などに関与したのではないかと推測されている。吉・藤の字を名に持つ一群の人々や鋳物師たちは,話を好む芸能の徒でもあったらしいことは,さまざまな例があり,また《古今著聞集》興言利口の部などにうかがえ,《義経記》で牛若丸に奥州の歴史と状況を語る吉次の雄弁も,これらのことを暗示するものとも考えられなくはない。
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百科事典マイペディア 「金売吉次」の意味・わかりやすい解説

金売吉次【かねうりきちじ】

奥州藤原氏の全盛期,奥州の黄金を京で売って長者となったという伝説的人物。父は藤太,母は京の公卿の女とされ,炭焼長者伝説との関連も考えられる。鞍馬山にいた牛若丸を平泉の藤原秀衡のもとにつれていったということで義経伝説に登場し,《十二段草子》,浄瑠璃《孕常盤(はらみときわ)》などにも語られる。中尊寺付近の長者ヶ原は彼の壮大な屋敷跡という。
→関連項目熊坂長範浄瑠璃物語

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金売吉次」の意味・わかりやすい解説

金売吉次
かねうりきちじ

平安後期の伝説的人物。奥州の砂金と京都の物品との交易を行った京三条の商人で、名を吉次信高といい、堀弥太郎(やたろう)ともいう。その事跡は『平家物語』『義経記(ぎけいき)』、舞曲「烏帽子折(えぼしおり)」などにみられる。とくに『義経記』にみえる吉次が鞍馬(くらま)で会った牛若丸(源義経(よしつね))を奥州の藤原秀衡(ひでひら)のもとへ連れていったことは有名。

[芳井敬郎]

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朝日日本歴史人物事典 「金売吉次」の解説

金売吉次

義経伝説で知られる伝説上の人物。吉次信高(『義経記』),橘次末春(『源平盛衰記』)などの別名がある。『平治物語』(古活字本)では,奥州の金商人であり,鞍馬参詣の際,牛若丸に請われて彼を奥州平泉(岩手県平泉町)の藤原秀衡のもとへ案内している。これとは別の伝承として,長者の娘と結婚した炭焼きが黄金の価値を妻に教えられ,近くにあった黄金を掘り出して大金持ちになる。この炭焼き長者の息子がのちの吉次であるという昔話が東北地方各地に残っている。これらの伝承から,金山師・鍛冶屋・鋳物師との関係が指摘されている。<参考文献>柳田国男「炭焼小五郎が事」(『定本柳田国男集』1巻)

(小松和彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金売吉次」の解説

金売吉次 かねうり-きちじ

伝説上の人物。
「義経(ぎけい)記」「源平盛衰記」などに登場する黄金商人。陸奥(むつ)と京都を往来し,陸奥の砂金を売買する。鞍馬(くらま)寺で牛若丸(のちの源義経)にあい,平泉の藤原秀衡(ひでひら)のもとにともなったという。各地を旅した鍛冶(かじ)・鋳物(いもの)師の金屋(かなや)とする伝説,伝承もある。別名は吉次信高,橘次末春(きつじ-すえはる)。

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世界大百科事典(旧版)内の金売吉次の言及

【弁慶】より

… また,熊野新宮地方の伝説には弁慶の母を鍛冶屋の娘とするものがあり,《願書》では弁慶の母がつわりに鉄を食したので,弁慶は色が黒く,全身が鉄でできているが,一ヵ所だけが人肉であるなどとされているなど,弁慶の物語の成立には,山伏とも関係の深い鍛冶の集団もかかわったのではないかと推測されている。《弁慶物語》などでも,弁慶は太刀,飾りの黄金細工,鎧(よろい)などを五条吉内左衛門,七条堀河の四郎左衛門,三条の小鍛冶に作らせていて,炭焼・鍛冶の集団の中で伝承されたとする金売吉次伝説との交流を思わせる。 鍛冶の集団は毘沙門天(びしやもんてん)を信仰していたから,《義経記》の中で鞍馬(くらま)寺が大きな比重を占めるのも,鍛冶の集団の中で伝承され成長した物語が《義経記》の中に流れ込んだためとも考えられる。…

※「金売吉次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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