自由党史(読み)じゆうとうし

百科事典マイペディア 「自由党史」の意味・わかりやすい解説

自由党史【じゆうとうし】

板垣退助監修宇田友猪(ともい)・和田三郎編。1900年憲政党の解党総会での決議によって着手し,1910年完成。1868年の王政復古から1889年の大日本帝国憲法発布に至るまでの自由党の歴史を中心内容とし,民撰議院設立建白国会開設請願運動,地方自由党の激化事件など自由民権運動の全容記述。自由民権運動研究の基礎史料。ただし板垣ら党主流派(土佐派)の視点が強いという難点も指摘される。

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旺文社日本史事典 三訂版 「自由党史」の解説

自由党史
じゆうとうし

自由民権運動の先頭にたって闘った自由党の記録書
1900年9月,自由党の後身である憲政党の解党総会で編纂が決定され,10年後の'10年3月出版された。監修は板垣退助。自由党の発生発展を主として扱い,大日本帝国憲法の発布で筆を置く。

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世界大百科事典(旧版)内の自由党史の言及

【群馬事件】より

…1884年5月,群馬県西南部に起こった自由党員と負債農民の蜂起事件。従来この事件は関戸覚蔵の《東陲(とうすい)民権史》(1903)と板垣退助の《自由党史》によって喧伝されたが,現在ではその記述に潤色が多いことが批判され,さらに両書は高崎線開通式を機として政府高官,高崎鎮台を襲撃するという上毛自由党の計画をあげ,その関連上に群馬事件を置くにもかかわらず,この前史はまだ確認されていない。ともかく明治10年代,群馬県にも15~16の民権政社が結成され,関東でももっとも注目されていた。…

※「自由党史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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