百科事典マイペディア 「民撰議院設立建白」の意味・わかりやすい解説
民撰議院設立建白【みんせんぎいんせつりつけんぱく】
→関連項目愛国公党|大井憲太郎|加藤弘之|国会開設請願運動|自由党史|日新真事誌
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1873年の征韓論に敗れて下野した副島種臣,後藤象二郎,板垣退助,江藤新平の諸参議が,小室信夫,古沢滋,岡本健三郎,由利公正らとはかって,74年1月左院に提出した建白書。民撰議院の即時開設が必要であることを,納税者の参政権,人民の開化,人心の統一,有司専制の弊害など,多くの理由をあげて強調している。憲法制定論や国会論は左院の中ですでに討議されていたことであり,下野参議は非征韓派政府に対して改革の即時断行を求めたのである。署名者たちが,建白提出の数日前に愛国公党を結成して天賦人権論を唱え,また建白書の内容がただちに新聞に公開されたために社会に強い衝撃を与え,自由民権運動展開の糸口をつくる役割を果たすことになった。それは,建白の内容に関連して即時開設賛成論と時期尚早論との論争が新聞紙上でたたかわされ,民権論に対する一般の関心を著しく高めたからである。板垣らは時期尚早論者に答えて,民撰議院設立は,かつて行われた藩別議員を出す制度を整備拡充し,維新の功臣を出した士族・豪農商らに参政権を与えるだけだと説明した。このような論理は,旧参議たちのような上流の民権説の限界を示すものであるが,同時に維新変革と明治政府の特徴的な成立過程の反映でもある。署名者の一人江藤新平は2月佐賀に帰って征韓を主張する反乱を指導し,愛国公党は事実上活動を停止した。
→自由民権
執筆者:永井 秀夫
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1874年(明治7)板垣退助らにより左院に提出された国会開設を求める建白。政府は72年頃から左院に国会開設の具体案を検討させていたが,内紛などから実現しなかった。そこで征韓論がいれられず下野した前参議板垣らが,74年1月17日に建白書を提出。内容は,政府の有司による専制政治が国家の危機を招いていると非難し,官民一体となって国を建て直すため,すみやかな民撰議院(国会)の設立を主張したもの。建白の署名者は板垣・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣(そえじまたねおみ)・古沢滋(しげる)・岡本健三郎・小室信夫(こむろしのぶ)・由利公正の8人で,藩閥反主流の旧高知・佐賀藩出身者が中心だった。建白書は翌18日の「日新真事誌」に掲載され,知識人たちの間で賛成・批判などさまざまな民撰議院論争が展開された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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